ファミリーコンピュータ

本体

1983年07月15日発売 ファミリーコンピュータ 定価 14800円
1986年07月01日発売 ツインファミコン 定価 32000円
1993年12月01日発売 ニューファミコン 定価  6800円
販売元

任天堂社

周辺機器

1986年02月21日発売 ディスクシステム 定価 15000円
販売元

任天堂社

 
日本をゲーム大国に伸し上げた偉大なマシン。
数々のテレビゲーム機が発売された中で勝ち残ったのが、『ファミリーコンピュータ(以降、FCと略します)』である。

FCが勝った理由は色々ある。

・低価格&高性能

当時14800円と言う値段で、16色以上の色を出すのは非常に困難であった。なぜならば、殆どのハードメーカーが使用していたの は、”当時の”パソコンに使われていたCPUだからである。もちろん画像専用LSIなど無いに均しかった。また、価格もとても娯楽として簡単に買える価格 のものは無かった。

しかし任天堂社は、CPUとバスで直結された専用の画像LSIを用意した。つまり往来のようにパソコン用CPUを使ったのでは ゲームに必要な機能まで存在してしまうため、ゲームに特化したマシンのを設計したのである。当時、ここまで割り切ってゲーム機を作ったメーカーはなかっ た。なぜならば、本当に力を入れても儲かるか、わからない分野だったからである。だが任天堂社は儲かると判断した。低価格・高性能で面白いゲームさえある のならば売れると。ゲームをオモチャと理解していた山内社長の判断力は、現状と先を見据えていたのである。

任天堂社は、『テレビゲーム15』や『ゲーム&ウォッチ(以降、GWと略します)』の実績を後ろ盾にし、リコー社に対して低価格 のカスタムチップ(既存にあるもではなく、オリジナル設計。ベースは6502)の製作を依頼する。

もちろん低価格にするためには大量生産しなくてはならない。しかも他のメーカーが簡単に真似できてしまうようなものだと、大量生 産しても意味が無くなってしまうため、簡単には真似できないようにオリジナル性が高くなければいけない。GW市場で行われたような、他社が簡単に真似でき てしまうような製品を作らせないよう、真似されても時間がかかるものを作ることを前提に、任天堂社は設計・価格設定を行ったのである。リコー社はかなり苦 しかっただろう・・・。だが任天堂社の要求に答え、こうしてファミリーコンピュータは誕生した。

・ソフト

もちろんハードだけ作っても、儲からない。ましてやかなり値段で無理しているので、せっかくGWで儲かった利益を失いかけない。しかし ハードで儲けるのではなく、本体があれば違うソフトで遊ぶ事が出来る利点、つまり”ソフト”で儲けるという、ビジネスモデルを任天堂社は考えていた。そ う、任天堂社には、優れたソフト開発能力があったのである。『マリオブラザーズ』やアメリカでヒットした『ドンキーコング』など、アーケードゲームと遜色 無いタイトルをFCに用意する事で、発売当初から人気を博していった。

そして『スーパーマリオブラザーズ』が登場し、一気にゲーム業界を席巻する事となる。このゲームは全世界で売れた。攻略本もベス トセラーになり、少女漫画にさえ攻略記事が載ったほどである。このゲームがヒットした事により、マリオは任天堂の顔になり、映画まで作られた。

そして『ドラゴンクエスト2』が発売されたときに、購入するために並んでいる人の数約5000人というニュースが街を駆け抜け、 FCが国民的人気を得ていたという事実が出来あがっていた。

発売されたソフト約1200本。この本数がFCの人気を物語っている。

・サードパーティ

もちろん任天堂社だけでは、これほどまでに人気があるマシンにはならなかっただろう。FCが発売されてしばらくしてから、任天堂社以外 の会社がFCでゲームを供給する事になった。
最初にハドソン社が参入し、『ロードランナー』を発売する。これが大ヒットし、FCで初めて100万本を超えたソフトとなった。そして 次に、ゲーム好きはナムコファンとまで?言われたほどに人気があったナムコ社が参入。この当時、誰もが期待していた『ゼビウス』を移植し、これまた大ヒッ ト。約200万本近くの売上を樹立する。

この2社の成功により、参入メーカーが押し寄せた。なにしろこの頃は、FCでソフトを出せば100万本売れる事が珍しくなってい たのである。言わば金のなる木。ゲームを作っていない会社まで参入し、クソゲー乱立の時代を迎えてしまう事の原因にもなった。そのため、ソフトの抱き合わ せや不良在庫問題という影も生み出してしまう事となった。

・規制

各ゲーム会社は参入する際、任天堂社に許可(ライセンス)を得なければならなかった。そのためにはお金も必要であった。このお金が、任 天堂にとって巨大な利益にもなった。それを面白くない会社も当然あった。

裁判沙汰にもなったのでご存知の方もいると思うが、とあるメーカーが「ライセンスがあるのはおかしい。パソコンのように自由に ゲームを出せるべきだ」と主張した。

結果は・・・任天堂社の勝ち。その理由は、「ゲームの内容をチェックする事により、アタリショックの二の舞にならないため」であ る。(それでも出しているメーカーもありますが(笑))

アメリカでは大変深刻な問題だったアタリショック。ゲームが売れるのを良い事に、粗悪品が数多く出たため、アタリ2600が売れ なくなって大量に余ってしまったこの問題をちゃんと理解していた任天堂社だからこそ、長い間ゲーム業界で君臨しているのだろう。
 

最初は独自にROMカセットを生産できるメーカーしか参入を許していなかった任天堂社だが、要望の多さに門を開いた。その結果、 大量の利益を得られたが、任天堂社工場のROM製造ラインが混雑してしまう結果となった。その問題を解消する理由プラス、データ書き込みによるゲームの進 化を狙い、ソフトの書き換えが何度でもできるディスクシステムを販売する。

これはファミコンと接続する事でソフトを遊べるマシンで(後に一体型のツインファミコンが発売される)、データを読み込むための 時間がかかるが、ソフトは当時のROMと比べて大容量かつ低価格。同時発売された『ゼルダの伝説』が特に人気を博し、大ヒットした。しかもソフト書き換え 料金が500円という低価格なため、お金が無いユーザには賞賛を得たマシンであった。

任天堂社は、今後はディスクシステムのゲームしか作らないと宣言したが、しばらくすると大容量のROMを使ったゲームが発売さ れ、またディスクを置いていたお店からは利益が少ないという批判にあい、想像よりも短い期間で消えて行ってしまった。

広く普及したマシンのため、ネットワークを使って証券の売買・馬券の購入など、いろいろな事にもFCは使われた。

思い入れが多い人も数多くいるであろうこのマシンが、ゲーム業界に残した足跡は、今なお消えていないので ある。
 
 

個人的に思い出深いマシンでもあります。当時、パソコンゲーム以上に遊んだゲームが多いですからね。自分でお小遣い貯めて買った な、本体だけ(逝)
ソフトは友達に借りていました。だってお金が無い中学生だったんですもの(泣)
『ディグダグ』がプレイしたくて買ったんですが、1番最初に買ったのはなぜか『サッカー』でした。

ディスクシステムは、ミニコンポを買いに行ったんだけど、家に帰ってきたらミニコンポのランクが落ちていて、ディスクシステムと 『メトロイド』が!(逝)
よくゲームして徹夜したな〜。ああ80年代って、やっぱり最高!
 

え〜メチャクチャソフトの数が多いんですけど(泣)
それでもスーパーファミコンよりは少ないんですけどね・・・。

もしここに無いパッケージやゲーム画像をおもちの方いらっしゃいましたら、ご協力お願い致します。
っていうか、誰か手伝って!(泣)

基本的に、違うバージョンのパッケージがあるソフトに関しては、全て載せていく予定です。ただし、『FF』マークがある・なしの パッケージまでは載せません。
また、ディスク書き換えのみのゲームは、ラベルを表示します。

パッケージ

ア行 01

02 カ行
 サ行 03

04 タ行
ナ行 05

06 ハ行
マ行 07

08 ラ.ヤ.ワ行
09

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